戦国史元就記毛利家プレイ日記

元就記はyoukiさんが作られたシナリオです。

1.新興勢力毛利家

はじめの状態(97年3月)

吉田郡山城のみだが、城は他の城より硬く、
武将数も豊富。近隣も1城のみの家だらけである。
とりあえずは宿敵となっている宍戸家を攻撃する。

<97年10月>
安芸は、吉川家は兵力が多いので兵糧攻めできれば即落ちるが、そんな兵力はないので放置。
天野家から不戦同盟を持ちかけられたので、南側へは不戦同盟を持ちかけて
戦わずして味方に引き込むことを狙っていく。また、北の高橋家については
わざわざこちらから破棄する必要性もないので臣従に持ち込む。

備後は備後山名・山内首藤の二大勢力の均衡状態。
比叡尾城が孤立した状態なので援護はされることはないので兵力を削って落とす。

<98年3月>
備後・比叡尾城はもうすぐ落城。
尼子と不戦を結ぶために、鰐走城を奪い、石見西部・吉川家を従属・臣従させることにより、
対尼子との外交交渉を優位に持ち込む。
尼子経久は智謀9なので戻ってこられるとほぼ確実に奇襲される。厄介なので早めに不戦を結ぶ。

2.最大の正念場

<98年10月>

石高で尼子家を追い抜き第2位に浮上。トップの大内家とも数千石差。
大内家が、陶・吉見を臣従させる前に、大内家の勢力を削っていく。

<99年9月>
鏡山城を兵糧攻めで落とし、銀山、桜尾、蓮華山を兵力を削った上で、力攻めで落城。
この時点で2位尼子家に倍の差をつけ、大内家は5位にまで下がっている。
ここまではほとんど抵抗がなかったが、大内・陶の本隊は温存されているので油断はできない。

3.掃討戦

<00年12月>

大内・陶も最後まで追い込む。
臣従させれば早く東へ向けられるが、大内・陶の両当主の智謀が高く、尼子経久に奇襲されないために
総大将におきたいので、最後まで落とす。
(総大将でなくても奇襲されないのなら無意味ではあるが、どうなのだろうか?)
東側は備後山名、因島村上を臣従させ、山内首藤と一度外交を破棄した上で
鞍替えを誘い、江田・和智両家があっさり鞍替えしてきた。山内首藤は再度不戦を結んで臣従させ、
尼子を削る。尼子は幸いにも美作侵攻中なのでその隙を突いて出雲に侵攻する。

<1501年8月>
月山富田城を落とし、尼子が従属志願をしてきた。ここから先は掃討戦となる。

1502年12月、別所家が臣従し、中国地方統一

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